★ 10月9日は ごてんの命日です。
とうとうやって来ます、明日。1年の節目、1周忌。長かった様な早かった様な。。。
★ 何をする?
コロナ禍でなければ、お寺に行くとか、思い出の地に行くとかしたいなと思ってましたが、中々まだ難しいです。
なので代わりに事前の希望を色々考えたいと思います。
簡単なところで、一緒によく行ったお散歩コースを歩くかな?と浮かびました。けどこれは浮かぶと共にない気もしちゃいました。だって実はこれが1番ハードルが高そうです。たぶん泣きながら歩いてるおばさんがいる、と通報されそうです。号泣かもしれません。
お家で出来る事にしようと思いました。月命日と変わらないですかね?あ、でも献杯しちゃおうかな?いやどんな酔い方になるんだろう?お花を買って、甘いものや好きだったものを買ったり作ったりしようかな?
ごてんはお肉が好きでよく鳥の手羽元を2時間位煮込んでホロホロにしたお肉をスープに混ぜてあげていました。
もともとは私の美容法でした、骨まわりを煮込むとお肌に良いコラーゲンが豊富で良いスープが採れます。お肉もホロホロで美味しいです。作っていると ごてんが
「ぼくのですよね?」
と寄って来ます。たまにあげてましたが、おじいちゃんになってからは食べやすさからドックフードよりもこちらの方が毎日食べるご飯になっていきました。少し多めに作ってチンしてあげますが、大鍋で作る日は時間がかかる上にとても熱いので作り出して匂いがしてからもらえるまでに時間がかかります。
「ぼくのですよね?」から、ヨダレがみょい〜んってなったり、ウロウロしたり、「まだか」とあきらめて寝に入ったり、色んな ごてんが見られる楽しい時間でした。
旅立ってから冷凍してあった手羽元が残っていたので人間用にと作ってみたのですが、匂いの記憶って凄いです。五感に来る記憶、もう、すぐフラッシュバックが起きて、でも ごてんの姿はない。匂いが悲しくて悲しくて、あれからはなかなか作れませんでした。
作ってみようかな?と考えてみましたが、やはり、予定をガチガチに決めても、当日気持ちが追い付かないと嫌なので、何となくする事を考える位で、とにかく ごてんの事を思う日にしようとかなと思います。
★ 1年経って変わった事。
あの日、当日に比べればだいぶ冷静になっているのはそうなんですけど、当日のあの衝撃は時間の流れのお陰でだんだん自然に収まって来たのもあるし、故意的に収めてきたのもあるかと思います。辛いですからね。
衝撃が落ち着いた頃からどう変わったかと言われると、気持ちの収め方に慣れてきたかな?と、対処方を覚えて来たのだと思います。ただ、あの日から私の生活が変わったのも事実です。
あの日から2ヶ月くらい経った頃、私が通院してる病院に行った時、コロナ禍なので入ると検温しなきゃなんですが、そこは受付の方が非接触で出来るおでこにかざしてくれてするタイプの測定の仕方だったんですが、後から来た親子、お母さんとやっと歩ける様になったくらいの女の子の親子が、お母さんが先にして次に女の子が検温をしようとしたのですが、女の子が体温計が怖かったのか知らない人に何かされるのが嫌だったのか
「おかーさん(T T)おかーさん(T T)」
と泣き叫んでました。それを見て急に胸が苦しくなりました。
ごてんも今もしかして何か怖い事があって助けを求めていても私には見えない、助けてあげれない。
涙が溢れ出ます。
マスクしていてとキャップをかぶっているし、まさか大人が泣いてるなんて思わないから気づかれないよ、と自分に言い訳をしながら止められない涙を流して、確信しました。「私にとって ごてんは小さいままの息子なんだ」と。
気持ちを抑える対処方は覚えたけど悲しさといつも一緒、といった感じですね。って書くとなんだか可哀想ちゃんアピールみたいですど、悲しいのは出会えた喜びと背合わせな感じがあると思うんです。出会わなかったら良かった、なんて思いません。だから悲しいのはあって当たり前かな?と。気持ちが痛いのと合わせて ごてんが一緒にいてくれた幸せが私の中にあります。
★ どうなりたいか
ついついネガティブに引っ張られがちですが、私が苦しいと ごてんが心配するといけないと思うので明るい毎日を送れたら良いなと思います。私が足を引っ張らないで、虹の橋でお友達と良い距離感で(。。。知ってるお友達以外のわんこさんが苦手だから。。。)楽しく過ごしていて欲しいと思います。
そして「ありがとう」って思いがいっぱいです。「有難う」すごい言葉ですね。
「有り難し」が変形したもので「ありがとう」の語源は「有り難し(有り難い)」という言葉だそうです。本来は起こることがないできごと、あり得ないこと、非常にまれなこと、という意味だそうで仏教に由来する言葉らしいです。
引用元:暮らしのNEWS. https://trend-news-today.com/12146.html
有ることが難しい。ごてんに出会えて一緒にいられる事がどんなにすごい事か、愛せるものがある事がどんなに幸せか、息子に対してはなんの抵抗もなく素直に思えます。
★★ まとめ ★★
お友達のコーギーくんのママが言ってくれました。
「こればかりは最愛なる者を亡くした人でないとわからない事だからね、悲しいけど私達は貴重な体験をしたんだよ。」
まさにそう思います。
そう言ってくれる友達がいる。昔からの友達もいる。主人もいる。心配してくる人もいる。
支えてくれる人がいるから悲しいけど自分は幸せなんだとも気付かされました。ごてんは旅立った後でも私に幸せをくれます。
楽しい思い出、いつもそこにいた感覚は今でも変わらずあります、悲しいし気持ちが落ち着く日なんていつ来るのかわからないけど
「ありがとう」でいっぱいです。
もう1年後にはどう変わっていますかね?
胸が苦しいけど「ありがとう」な1年の節目になりそうです。「day364」ではちょっと語呂が悪いけど、なんだか緊張して色々考えてしまって事前にブログをUPしてしまいました。
明日は ごてんとゆっくりしたいと思います。